〈貴重書〉都百景(都名所百景)

江戸時代の京都を視覚的に見ることのできる本に『都名所図会』(安永9年(1780)刊)があります。秋里籬島(あきさとりとう)の文章と竹原信繁(たけはらのぶしげ)の絵とで京都の名所を案内しています。その後、『拾遺都名所図会』(天明7年(1787)刊)、『東山名勝図会』(元治元年(1864)刊)など、類本が数多く作られました。これらの本は木版の単色刷りで、色がないのが寂しいところです。

色彩を伴って京都を案内するものに、歌川広重の浮世絵版画「京都名所十景」(天保5年(1834)頃)があります。淀川、通天橋、八瀬、糺河原(ただすかわら)、嵐山、四条河原、嶋原、清水、金閣寺、祇園社の10景を、季節感も入れて刷り上げています。広重の「東海道五十三次」では、京都の風景として「三条大橋」が描かれています。

歌川広重は安政年間(1855~60)に江戸の名所を題材にして「江戸百景」を描きました。その好評を受けて、大坂の版元である石川屋和助(石和)は「浪花百景」と「都百景」(「都名所百景」)を企画し、制作しました。「都百景」は大坂の浮世絵師歌川芳豊(うたがわよしとよ)(北水)、歌川国員(うたがわくにかず)、京都の梅川東居(うめかわとうきょ)、川部玉園(かわべぎょくえん)、四方春翠(よもしゅんすい)の5人の画家により描かれました。梅川東居と四方春翠は、『東山名勝図会』の画家でもあります。

「都百景」は幕末の文久3年(1863)から慶応元年(1865)頃に描かれたと考えられます。それゆえに当時の歴史的事件や世相なども描き込まれています。例えば、歌川北水画「鴨川流上 下加茂社」では、賀茂川に架かる橋の上を、鳳輦(ほうれん)が通過する様子を描きます。これは、文久3年3月11日に孝明天皇が上・下加茂両社に行幸した様子を描いたものです。

また、梅川東居画「下加茂 御手洗川」は、現在では見られなくなった下鴨社境内の納涼風景を描いています。

さらに、題箋にまで意識して描く作品も多くあり、鑑賞者は細部に至るまで読み込む楽しみがあります。
例えば「鴨川流上 下加茂社」に描かれた扇形の題箋には、皇室と所縁の菊紋と五三桐紋が、淀城を描く「淀 秋暁」には、淀藩稲葉氏の家紋である「折敷に三文字紋」が描き込まれています。

京都学・歴彩館では、近年「都百景」(「都名所百景」)を収集し、それをデジタル画像で見られるようにしました。1枚1枚の画像を見ていくと、幕末の京都の光景がよみがえってくるかのようです。そこからは、『都名所図会』とは違った京都のイメージが紡ぎだされるのではないでしょうか。