資料紹介「美濃屋彦三郎農具売出引札版木」

農具版木画像

こちらは下京の篩(とおし)商が印刷した引札(商品広告)の原板で、2018年(平成30年)度に京都府立京都学・歴彩館に寄贈されました。当館では古文書資料として受け入れました(館古652の1号)。

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改暦後初の京暦

元号が令和に代わって初めての新年、皆さんのご家庭では新年がどんな年になるだろうかとカレンダーやその年の吉凶が描かれた冊子形態の暦を眺めているのではないでしょうか。
昔の人にとって暦は今より重要で平安時代には暦の吉凶に従って、行事を行う日を定めたり、外出を控えたりしていました。

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〈貴重書〉都百景(都名所百景)

江戸時代の京都を視覚的に見ることのできる本に『都名所図会』(安永9年(1780)刊)があります。秋里籬島(あきさとりとう)の文章と竹原信繁(たけはらのぶしげ)の絵とで京都の名所を案内しています。その後、『拾遺都名所図会』(天明7年(1787)刊)、『東山名勝図会』(元治元年(1864)刊)など、類本が数多く作られました。これらの本は木版の単色刷りで、色がないのが寂しいところです。

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京の絵師、吉田初三郎の鳥瞰図の紹介~星野リゾートの源流~

吉田初三郎は京都に生まれ、各地の鳥瞰図を手掛け、大正の広重とも言われました。また歴彩館では彼の作品を多く所蔵し、このサイトで画像を公開しています。それらの鳥瞰図には百貨店や旅館の依頼に応じて作成されたものもあります。

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石井行昌氏本人の写真

「写真資料から(51~100)」では、石井行昌(いわいゆきまさ)撮影写真を主な資料として見てきました。石井行昌氏の略歴については「写真資料から55」で触れていますが、石井氏は1876(明治9)年6月23日に京都で生まれ、1923(大正12)年5月14日に46歳で亡くなっています。元公家の家柄で、1884(明治17)年に子爵となりました。趣味の写真撮影は、1894(明治27)年の終わり頃から始め、晩年まで続きました。

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昭和大礼関係行政文書

今年は天皇の御代替わりがあり、10月22日に即位の礼が行われます。この儀式は大変重要な国事行為のため、過去に開催された即位の礼に関しても多岐にわたって準備・検討を重ねられていたようです。
昭和天皇の即位の礼の場合は昭和3年11月に京都で行われることが決定されると、京都府は京都府大礼事務局を設置し、即位の礼を含む大礼行事の準備にあたりました。当館ではこの時に作成した公文書を所蔵し、閲覧提供しています。その一部をご紹介します。

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華族会館京都分館

明治維新以後、江戸時代の公家や大名などは華族という特別な身分に位置づけられました。その華族の集まる団体が華族会館で、東京に本館があり、京都に分館がありました。京都分館の事務所は、烏丸今出川の北東にあった旧徳大寺邸跡にありました。

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四条小橋

矢野家写真資料 79 四条大橋2

江戸時代、鴨川には三条通と五条通に大きな橋が架かっていました。しかし四条通は御土居で遮られたため大きな道が川まで延びず、そのために鴨川にも小さな橋しか架かっていませんでした。江戸時代後期の安政4年(1857)になりようやく大きな橋が架けられましたが、1874年(明治7)には写真のような鉄橋に架け替えられました。

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矢野豊次郎氏収集写真と『おもかげ』

矢野家写真資料は、「写真資料から27」でも取り上げたように、矢野豊次郎氏による撮影及び収集写真です。黒川翠山から写真技術を学んで祭礼などの写真を撮る一方、古写真の収集も行いました。

矢野氏の収集した古写真77点には、ガラス原板のあるものと紙焼きのものとがあります。ガラス原板には、キャビネ判だけでなく、八つ切判、四つ切判などの大判のものも見られます。また、京都の写真だけでなく、奈良県、滋賀県、兵庫県、大阪府、熊本県の写真も含まれています。

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物としての写真資料

資料ガイド「写真資料のガラス原板」では、「AGFA」の文字の入るガラス原板を紹介しました。このように、写真資料には被写体として何が写っているかというだけでなく、物としての価値もあります。

19世紀後半、写真の普及し始めたころには、小さな桐箱に入ったガラス板の写真が登場しました。これは湿板写真で、そのままではネガ像(陰画)ですが、裏面に黒色を塗布することでポジ像(陽画)として見ることができます。それを観賞用兼保存用として桐箱に入れました。箱の蓋の表や裏などに、撮影年や被写体の人名などが墨書されることもあり、それも大事な情報になります。

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黒川翠山撮影写真資料の題名について

黒川翠山撮影写真資料に含まれる個々の写真の題名(作品名)は、寄贈された後に当館での整理時に付けたものです。

翠山が写真のすべてに最初から題名を付けていたとは思えませんし、整理時にすべての写真について発表時の題名等を調べたわけではありません。そのため、翠山が撮影時に意識した狙いが伝わらなくなっているもの、別の印象を与えているものがあるかもしれません。

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臣下に配った漢籍(朝鮮内賜本)

江戸時代以前は学問といえば漢文の書籍が中心でした。
その事情は朝鮮半島でも同じで、日本と同様に多くの漢文で書かれた書籍(朝鮮本)が刊行されました。

朝鮮本の特徴としては、活字を使った印刷が多いということと、公的機関や学者個人が刊行したものがほとんどで、日本のような商業出版物はほとんど見られないということが挙げられます。

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吉井勇日記にみる馬町空襲

少し前の記事ではありますが、2018年3月30日の京都新聞26面に掲載された「歌人吉井勇の日記に京都・馬町空襲」は、当館所蔵の吉井勇の日記を研究した静岡県立大学の細川光洋教授の研究成果※1を紹介したものです。

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黒川翠山・石井行昌撮影写真資料の複写写真

当館の黒川翠山撮影写真資料は、写真家の黒川翠山が撮影したものですが、一部に複写した写真も含まれています。1443番の「轜車(じしゃ)」 (柩車)は、『明治天皇御大喪儀写真帖』*1(1912年(大正元)刊)に載るものと同一で、そこには「陸地測量部撮影」と書かれていました。

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茶道具を擬人化? 中国の茶書『茶具図賛』

動物、刀剣、軍艦、国・・・さまざまなモノを擬人化した漫画、アニメ、ゲームなどが流行していますが、700年前の中国でも道具を擬人化して解説するユニークな書籍が刊行されました。それは『茶具図賛』という茶書で、茶道具を人に見立てて紹介しています。

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写真資料のガラス原板

当館にある石井行昌と黒川翠山の写真は、ガラス原板で保存されています。アナログ写真の時代には、写真の像を写し取る感光材としてフィルムやガラス板を使っていました。写真の発明された1840年代には金属の銀板を使い、1850年代にはガラス板を使う湿板写真、1870年代以降には乾板写真へと変わっていきました。石井行昌と黒川翠山の写真(1890~1940年代)は、このガラス乾板の時代のものです。

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石井邸で撮影した人物写真

石井行昌撮影写真資料のNo.383~610は、主として人物写真です。家族写真も含まれますが、誰を写したのかわからない写真が数多くあります。撮影場所は屋内のものもありますが、屋外のものが大半です。人物の背景に注目すると、板塀、土塀、扉、庭の前で写しているものが多く、他の写真と比較するとその場所が石井邸であると言えそうです。

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