現代では扇風機やクーラーの普及で暑さをしのぐのにうちわを使うことが少なくなりましたが、自然の風をおこし、涼を呼ぶうちわの風情には懐かしい美を感じます。
京うちわについて所蔵資料から紹介します。
京都でのうちわ量産はいつから?
京都では、奈良時代春日大社の神官が作ったことが起源とされる「奈良うちわ」をモデルとして江戸時代初期から生産が始まり、深草で量産されて京土産として定着したといわれています。
『拾遺都名所図会』(1787年刊)には、京都の小町娘の間で流行となった「深草うちわ」の製造と販売の活況が描かれています。
また、京都の伝統産業である京友禅の世界では、『友禅ひいながた』(1688年刊)などの図案集に、うちわを用いた図柄が着物の文様に登場します。
江戸時代後期には、うちわはさらに装飾を増し、和紙に金銀の砂子を用いた装飾性の高いものや美しい彩色画、また素材が紙だけではなく絹地のものまで多種に広がって行きます。『東海道中膝栗毛』(1822年刊)にも京の特産品として「伏見のうちわ」が記されています。
明治時代になると欧米向けに異国趣味の一つとして、京名所等を描いた輸出用うちわが生産され新たな展開をみせました。
うちわはどのように利用された?
うちわは単に涼をもとめて扇ぐだけでなく、装身具の一つとして女性が身に付けるものもありました。『女用訓蒙図彙』(1687年刊)には、香炉や匂袋等とともに上品な女性の持ち物として記載されています。また『百人女郎品定』(1723年刊)にも女性のおしゃれなアクセサリーの一種としてうちわが描かれています。
また『都名所図会』(1780年刊)では、夏の風物詩として蛍狩りの際にうちわに長い柄をつけて蛍の群れを追っている様子も窺えます。
うちわ絵の大流行!・・・うちわ型に描かれたデザインの数々
扇絵が室町時代から絵画の一分野として鑑賞用に製作されていたのに対し、うちわ絵は版本で量産され一般庶民にもひろく流行しました。浮世絵師の祖といわれる菱川師宣の著作では『団扇絵づくし』(1682年刊)があり、役者や当世美人が描かれています。うちわ絵は浮世絵師にとって重要な活躍の場となり特に北斎、広重、國芳は大変ユニークなうちわ絵を描きました。所蔵の『広重の団扇絵』(2010年刊)や、図案家福岡玉僊が編集した『江戸時代団扇集』(1925年刊)にもそのことをうかがい知ることができます。