石井行昌氏本人の写真

「写真資料から(51~100)」では、石井行昌(いわいゆきまさ)撮影写真を主な資料として見てきました。石井行昌氏の略歴については「写真資料から55」で触れていますが、石井氏は1876(明治9)年6月23日に京都で生まれ、1923(大正12)年5月14日に46歳で亡くなっています。元公家の家柄で、1884(明治17)年に子爵となりました。趣味の写真撮影は、1894(明治27)年の終わり頃から始め、晩年まで続きました。

写真家は、自分自身の写真をあまり残さないように思いますが、石井行昌氏を写した写真は20数枚と、かなりの数が残っています。目録に「石井氏」と記された写真の他に、「人物(男性)」とされる写真の中にも石井氏のものが含まれています。石井氏の顔写真は、旧公家等を紹介する『華族画報』上(初版は1913年刊、華族画報社。2011年復刻、吉川弘文館)に掲載されていて、その写真により本人の顔を特定することができます。

当館には成人してからの写真を所蔵し、20歳代から40歳代で亡くなるまでの写真があります。撮影場所は写真館、自宅両方が見られます。服装は、普段着に近い和装、紋付袴姿、洋装、大礼服(有爵者大礼服)、衣冠姿など、さまざまなものがあります。更に立ち姿だけでなく、椅子に腰かけている姿や、全身を写すもの、上半身だけのものなど様々です。

No.623
No.989

フィルムに相当するガラス乾板は、陽画(ポジ像) (No.442、443、516)と陰画(ネガ像)の双方が残っています。一般的には、写真館で撮られたものはポジ像で、その原板は写真館が保有しますので、ポジ像は何らかの理由で石井氏が写真館から入手したものと思われます。写真館での撮影でネガ像のもの(No.515、518~529、1124、1219)は、石井氏が紙焼き写真を複写してネガ像を作成したものではないでしょうか。

No.443
 No.515

写真からだけではどのような人柄であったかは断言できませんが、石井氏は穏やかな人であったように見受けられます。この他にも、石井行昌撮影写真資料には、祭りや儀式に参加している石井氏の写真も含まれていると思われますが、今のところまだよくわかっていません。今後の調査・研究の進展に期待したいと思います。

(写真資料から100 資料課 大塚活美)