北垣知事の北海道視察

北海道調書(府庁文書 明24-0028)は、北垣国道知事が京都府知事在任中に、北海道を視察した際の随行職員による復命調書です。

第3代京都府知事・北垣国道知事は、琵琶湖疏水建設や京都商工会議所創設など数々の実績をあげたことが知られています。明治14年の就任以来京都府の発展に尽力してきた知事は、世紀の難工事であった琵琶湖疏水建設工事竣工の翌年の明治24年8~9月に、およそ一月半もの間京都を離れ、北海道各地の開墾概況・勧業等を出張視察しました。

復命調書には出立後から帰京までの巡回行程を詳しく記した日誌を添えて、道内開墾地並びに殖民地、気象、農作物試作等のほか、一行が視察した酒醸造、製糖、製麻等の諸会社の概況が33項目にも亘ってまとめられており、その中の農業開墾目的の移住者の心得では、「妄想ヲイダキ移住シテ困難ニ陥リタル例少ナカラズ」と当時の北海道の状況を伝えてくれます。ただ、復命調書には視察の背景・事情までは触れられていません。

さて、北垣知事は明治14年から明治34年に至るまで日記を残しており『北垣国道日記「塵海」』として出版され、この日記の中で内務大臣に北海道出張を伺った背景・事情について触れています。
京都を出立した明治24年8月8日の欄には、「管下有力ノ人民追々北海道移住出稼ヲ企望「〔ママ〕」シ、其得失・手続・位置万般ノ現況ヲ問フ者多シ 是レ余ガ数年北海道開拓ニ従事シタルヲ信ズルニヨルモノナリ。然ルニ明治7年以降ノ実況ヲ知ラズ。(中略)最モ殖民ニ適当ノ地ヲ跋渉シ、以テ其企望有志者ヲ誘導セント欲シ」と詳しく書き留めています。

当時の京都府では北海道移住を希望する多くの人が、開拓使(北方開拓のため置かれた官庁)勤務歴がある北垣知事へ様々な教示を頼った状況や、その多くの人の期待に応えるべく最新の概況把握のため北海道へ赴く北垣知事の強い熱意が窺えます。

この視察から10か月後、知事退任を迎えることとなった北垣知事は北海道庁長官に就任し、活躍の場を北海道へ移すこととなります。