資料詳細
資料情報
項目 | 内容 |
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資料管理番号 | 館古027 |
資料群名 | 若杉家文書 |
資料群名よみ | わかすぎけもんじょ |
種類 | 原本 |
点数 | 2285 |
参考資料 | 文書解題P53 だより58号 館蔵資料参考ファイル 陰陽道基礎史料集成 |
資料概要 | 陰陽頭土御門家の家司であった若杉家に伝えられた文書、2285点。これらの文書は3つに分類することができる。(1)本来は若杉家の文書ではなく、主家土御門家に伝わった文書。土御門家は天皇の東上に伴なって東京に移住するが、そのとき古文書類を東京に運び、のち宮内庁に寄贈した。これらの古文書は、現在も宮内庁書陵部に架蔵されている。しかし、転居に際して京都に残された古文書も多かったようである。京都には明治初年に陰陽事務所が開設され、若杉氏がその中心となったこともあり、土御門家の文書が引き継がれたものと判断される。(2)本来の若杉家文書。これも2種類に分かれ、陰陽道に関するものと、若杉家に関する私的な文書である。(3)若杉家のあった上京塔之段松之木町の江戸時代から明治期にかけての町文書。土御門家関係文書は759点。そのうち、72点が中世文書である。もっとも古いのは、延慶3(1310)年8月8日付の土御門淳房所領文書等譲状である。家領である若狭国名田庄上村に関するものが、暦応元(1338)年10月7日付の若狭国守護大高重成遵行状をはじめとして21点。備前国河北庄、但馬国東河庄、摂津国溝杭内土井跡并富松下司職など、その他の家領に関するもの6点。洛中巷所や諸口雑務料に関するもの8点。また、文正元(1466)年7月2日付で外典祈祷を命じた足利義政御判御教書案や、永正7(1510)年9月5日付で天変地妖祈祷を命じた室町幕府奉行人連署奉書などがある。このほか、文明10(1478)年足利義政泰山府君祭、大永5(1525)年足利義晴防解火災祭、天文22(1553)年武田信豊泰山府君祭、慶長16(1611)年後水尾天皇天曹地府祭、慶長20年伊達政宗泰山府君祭など都状・祭文23点がある。 |
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