資料詳細
基本情報
項目 | 内容 |
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(和暦)年月日 | 明治43年 |
(西暦)年月日 | 1910/不明/不明 |
巻数 | 1、2、3、3、3、3、3、3、3、3、3、4、4、4、4、5 |
区分 | 政治・行政、商工、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、農林水産、社会、社会、社会、社会、教育 |
内容 | 南桑田郡樫田村(現在大阪府高槻市)、部落有財産統一完了。、西陣織物同業組合織物消費税納高104万7千円(明43年分織物会社下京区・葛野郡を除く。)、名古屋の各府県連合共進会において府出品の繭・生糸は品質・束整とも賞揚される。、府、農業技手7名を増設して蚕糸業の奨励にあたらせる。、府農会、国庫の特別補助を受け府下各郡から中庸農家1戸ずつ選定し以後5ヵ年間にわたる農家経済調査を開始。、加佐郡西大浦村瀬崎漁業組合設立(すでに漁業法実施とともにボラ敷網・イワシ地曵網・アジ締網などの漁業権免許を受けていたが組合結成により古来の漁具漁法を活用した漁業発展につとめ、30余戸の部落ながらもイワシ瓢網やサバ巾着網などを布設する)。、京都府のブリ大敷網免許36統漁場は、田井(馬立、1~5号)・成生(1~4号)・野原崎・野原高嶋・冠島・小橋磯葛・三浜アカラゴ・バクチ岬・無双鼻・島蔭・養老三石・養老古座教・伊根(上ノ切1~4号・割栗1~2号)・新井)1~2号)・津母・高砂(1~2号)・鯛崎・蒲入・袖志等。、紀伊郡上鳥羽村の農家、九条ネギの栽培開始。、愛宕郡聖護院村では宅地化がすすみ蔬菜栽培は衰退。、綴喜郡大住村地方では農家副業にムシロ織多くなる(8月ころから翌年4月ころまで)。、南桑田郡保津・河原林・馬路3ヵ村の小麦に害虫まん延し年々被害甚大(大5/11府農試の調査によりシロトビムシモドキと確認。同5/12馬路村に試験区を設けて駆除試験に着手し、タバコ粉末・石油による一応の解決をみた)。、真宗本願寺派加藤徹玄の祇園伝導。ために自由廃業、合意の情死がなくなったという。、中村寛澄ら、聖祖門下同志会を結成(事業の一部として囚人愍愛事業を計画)。、平安養育院、相楽郡木津に城南出張所を設置(古川専太郎宅、第2支部とする)。、南桑田郡亀岡に老人会結成、(日露戦争後の勇ましい状勢を反映し隠士北村竜象の発議により小学校長浅井栄次郎を会長として発足。昭28楽寿会と改称)。、西陣地方連合学区会、市立第四高等小学校廃校々舎に乙種商業学校を設置したい旨、市に建議。また西郷市長、市立中学校新設を市参事会に諮問。参事会はこれを甲種商業学校に変更。 |
出典 | 府庁文書、西陣の栞、府誌 上、府統計書 大7、府農会史、府漁業の歴史、府水産史年表、近郊蔬菜作の変遷、近郊蔬菜作の変遷、洛南大住村史、府農会報 295、日本近代仏教社会史研究、日宗新報 1110、同院文書,漆葉見竜談、京都の福祉 19、実業教育50年史 |
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