資料詳細
基本情報
項目 | 内容 |
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(和暦)年月日 | 慶応3年 |
(西暦)年月日 | 1867/不明/不明 |
巻数 | 2、2、2、3、5、5、5、7、7、8、8、8、8、8、8、8 |
区分 | 商工、商工、商工、農林水産、教育、教育、教育、建設・交通等、建設・交通等、美術工芸、美術工芸、美術工芸、美術工芸、美術工芸、美術工芸、美術工芸 |
内容 | 府下中郡大野村の蒲田善兵衛、綿縮緬織を創製し、好評。、松林長兵衛、宇治朝日焼を復興。、西陣の高機8組、西機合同して全西陣の絹売捌所設立を計画し、問屋と機屋の利害不一致で沙汰止み。、中郡口大野村の蒲田善兵衛、綿縮緬織(ちりめんおり)を創製。、この年に存在した私塾(上京東堀川下立売上ル「古義堂」、下京万寿寺町「脩正舎」、北桑田郡比賀江村「有隣館」、与謝郡魚屋町(名称不明)など)。、この年の寺子屋の数、330(ただし設置廃止の年月不明の寺子屋がかなりあり、必ずしも実在総数を示さない)。*2、*2 上京45(58)、下京6(20)、愛宕13(15)、葛野8(15)、乙訓25(33)、紀伊15(17)、宇治25(47)、久世14(22)、綴喜26(42)、相楽18(44)、北桑田14(26)、船井37(39)、天田…(4)、何鹿…(5)、加佐53(73)、与謝13(13)、中2(2)、竹野14(76)、熊野2(5)、計330(556)。 注 ( )内は幕末・天保ごろから明治初年までに存在していたことが確実な寺子屋敷。 、何鹿郡廷裏新溝完成。、*1 【京都近郊の関所】【省略】注 延亨2(1745)現在 日本土木史 「○伏見大阪間下り夜舟の注意書」 伏見より大坂まで 下り夜舟乗合のことハ よく宿にてかけ合万事 間違いのなきやうにすべし のり合中にてもし勝負ごと などする者ハ必ずごまの はいの類なるべし用心 すべし又舟中にて 心やすくなり大阪其先々までも同道して其上 にて取逃等するからも あるなれバ 御用心 なさるべしなさるべし ○焼けた跡の京都市 「元治甲子兵燹の後、市人往々草舎に仮住するに」漸々葺営し、已に旧観に復すと雖も、なほ偶々芧茨の存するを見る、又板上に敗瓦を駢ぶる者まま之あり、大いに都下の光景を損ず、今度総区長より悉く除き去れとの達しあり。」、望月玉泉、金屏風「萩に臥猪」・「藤に熊図」を描く。、富岡鉄斎、『宣興壺譜』・『文房清約図』・『桑苧居韻』出版。、望月玉泉、准后里御新殿御用の「山茶梅戯犬図」を描く。、中村水竹、大日本帝国璽を刻る。これは王政復古を諸外国に布告するのに用いられた。、秋 石田有年、明治天皇即位の際、御用の屏風金地六曲に極彩色「若竹に鶏」・「菊花に鶏」の画を揮毫。、岸竹堂、金地屏風に「虎・獅子図」「松に鷹図」を描く。、桂淡水、「増補掌中唐宋詩学類大成」を銅版製作(巻首に2代玄々堂松田緑山の序図がある)。 |
出典 | 府著名物産調、京焼百年の歩み、日本産業史大系、府著名物産調、日本教育史資料 8、日本教育史資料 8、日本土木史、大日本道中行程細見記大全(安政5),日本街道総覧、京都新聞 57(明6/2)、名家歴訪録、富岡鉄斎の研究、名家歴訪録、書道全集 25、日本銅版画志、京都美術協会雑誌 50、日本銅版画志 |
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