資料詳細

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項 目 内 容
区分 貴重図書
タイトル 撮影鑑 2
タイトルよみ サツエイカガミ
巻次
編著者
出版者
出版年月 1881
内容細目 東大谷, 霊鷲山高台寺, 八坂法観寺, 霊山表忠碑, 音羽山清水寺, 龍谷山西大谷, 龍谷山円通橋, 五条板橋, 大仏殿方広寺, 伏水街道第一橋, 恵日山東福寺, 稲荷神社, 藤森神社, 醍醐三寶院, 伏水御香宮, 伏水指月観月橋, 伏水山南望, 巨椋江, 雄徳山八幡宮, 長岡社頭, 教王護国寺東寺, 六孫王経基社, 飛雲閣本願寺井泉, 梅宮, 松尾神社, 嵯峨渡月橋, 愛宕山遠望, 栂尾高山寺, 高雄神護寺, 御室仁和寺, 太秦廣隆寺, 華園妙心寺, 北野天満宮, 平野神社, 鹿苑寺金閣, 龍宝山大徳寺, 千氏不審菴, 堀河第一橋, 黄檗山萬福寺, 平等院鳳凰堂, 宇治風光萬碧楼眺望, 宇治橋断碑, 宇治茶苑, 有市村炭酸泉, 童僊房廳, 北笠置, 笠置山下瞰, 鹿鷺山笠置寺. など
別書名
別書名よみ
解説 明治初期の京都府及び奈良県の名所の写真帖です。表紙に『撮影鑑 二』と墨書されていることから、第一巻の存在が推測されますが、残念ながら当館にはこの「二」しか所蔵していません。この写真帖は『琵琶湖疏水工事写真帖』と同じく、元京都市長高山義三氏の旧蔵資料で、明治期の府会議員である中村栄助氏から、三男である高山氏に引き継がれたものです。見返しに「明治十四年四月調製 京都舎密局蔵板自」と記されていることから、当時舎密局の主管であった明石博高が撮影したものではないかと推測されています。明石は、明治期の医師、実業家で、京都府にも出仕し、数々の近代化政策を推進した人物です。医師であった彼は、特に理化学、薬学研究に優れた業績を残しました。舎密局とは、理化学、化学工業技術の研究を目的として設置された施設で、「舎密」とはオランダ語のchemie(化学)の当て字です。明治14年という年は、府の勧業政策の転換により、明石が舎密局の払い下げを受け、京都府の職も辞した年にあたります。残念ながら舎密局は、その三年後に経済上の理由で廃絶します。またこの写真帖には、舎密局の印と「博高」と判読できる印が押印されていることも、この写真帖の由緒を知る手がかりとなります。ところで、『明治文化と明石博高翁』(田中緑紅著)によれば、明石が写真術の研究を始めたのは幕末の文久年間に遡り、辻禮輔という蘭学者を師として写真術を修め、京都、奈良の風景を撮影に歩いています。これらはいずれも硝子板写真であったものを、後年、舎密局時代に紙焼きして写真帖を作製し、天覧に供し、徳川慶喜や岩倉具視、三条実美にも献上したということです。この記述から推察すると、『撮影鑑 二』こそがこの写真帖ではないかと思われます。この写真帖に収録されている写真からは、神社仏閣等の名所旧跡の当時の様子がわかるだけでなく、五条板橋、嵐山の鉱泉浴場、南山城の童僊(仙)房という開拓地の写真等、歴史的、風俗的な観点からも貴重な記録写真が含まれています。
分類 291.62
請求記号 貴||||T36
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