資料詳細
資料情報
項目 | 内容 |
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資料管理番号 | 写真001 |
資料群名 | 黒川翠山撮影写真資料 |
資料群名よみ | くろかわすいざんさつえいしゃしん |
種類 | 写真、ガラス乾板 |
点数 | 2566 |
参考資料 | |
資料概要 | 黒川翠山は、本名を種次郎といい、明治15(1882)年、京都市上京区に生まれました。若くして父に代わり家業の呉服商を嗣ぎ、明治33(1900)年、18歳の頃から本格的に写真家を志し独学で研究を進めました。ことに比叡山を主題に、雲、霧、雪、光など天候によって変化する山の姿を撮影することに努力しました。そして、明治39(1906)年、日露戦争戦捷記念博覧会に出品した作品「雨後」で名誉銀牌を授与され、一躍有名になりました。 これが契機となって、「婦人画報」「少女画報」や「毎日新聞」「大阪時事」など多くの雑誌や新聞に写真が掲載されました。「自然は芸術である」と自然とのかかわりを大事にし、明治44(1911)年からは富士山の撮影に取り組み多くの作品を制作、数次にわたって展覧会を開催しました。しかし、当時はまだ写真の芸術性が社会的に認められていなかったため、制作活動は多くの苦労を伴いました。その意味で「美術としての写真」を普及することに一生を捧げた写真家ということができます。制作の幅は広く、自然を対象とするだけでなく、金閣寺、清水寺、平安神宮、下鴨神社といった社寺の建築美や町並み、名勝、祭礼、農耕風景、そして町家や僧侶の生活までも撮影しています。昭和19(1944)年に没するまで明治、大正、昭和にわたり写真を撮り続けたのです。 残された写真乾板は、当館をはじめ、金閣寺、平安神宮、京都市歴史資料館、静岡県立美術館、滋賀県立琵琶湖文化館、東京都写真美術館などに寄贈され、大切に保存され広く活用されています。 |
利用上の注意 | |
参照 | |
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