大石内蔵助の隠棲地、岩屋寺

「忠臣蔵」で有名な、主君浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の無念を晴らそうと吉良邸に討ち入った赤穂四十七士。そのリーダー大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は討入り前に京都、山科の地に住んでいました。その隠棲地として知られるのが、山科区西野山桜ノ馬場町にある岩屋寺です。

その場所は江戸時代から有名だったようで、京都の名所を紹介する『拾遺都名所図会』(『都名所図会』の続編として、天明7年(1787)に刊行)では岩屋寺にあった大石の屋敷跡が絵入りで紹介されています。

これによると住居跡は岩屋大明神(現在の岩屋寺)の鳥居の前、北側に広がる薮の中に描かれており、その跡地には碑が建っています。
現在、その場所には遺髪塚と明治時代に建てられた隠棲跡碑があり、岩屋寺には浅野内匠頭長矩の位牌や四十七士の像が祀られています。

その他にも、俗に大石稲荷とも呼ばれ大石内蔵助が寄進したといわれる鳥居のある花山稲荷神社や、四十七士の義挙を顕彰するため昭和10年に建立された大石神社など山科には大石内蔵助ゆかりの史跡が多くあります。

また、吉良邸討ち入りの日である12月14日には山科にて義士まつりが開催され、当日は討ち入り装束に身を固めた義士隊による毘沙門堂から大石神社までの行進がおこなわれます。