改暦後初の京暦

元号が令和に代わって初めての新年、皆さんのご家庭では新年がどんな年になるだろうかとカレンダーやその年の吉凶が描かれた冊子形態の暦を眺めているのではないでしょうか。
昔の人にとって暦は今より重要で平安時代には暦の吉凶に従って、行事を行う日を定めたり、外出を控えたりしていました。

その暦ですが、日本では平安時代から江戸初期まで宣明暦という中国で作られた暦を使用していました。大変正確な暦でしたが、長く使用したため小さな誤差が蓄積し、江戸時代頃には実際の天体の動きと2日ほどのずれが生じていました。

その後、貞享元年(1684年)に新しく貞享暦が採用されました。
今回紹介するのはその貞享暦を採用した初めての暦です。

[貞享2年京暦]

残念ながら巻頭の一部と12月のほとんどが欠落していますが、眺めていると色々な事が分かります。
まず、冒頭には「京大経師権之助」とあります。ここにある「大経師」とは江戸時代に京都で暦を印刷・配布していた家であり、浄瑠璃の「大経師昔暦」でも有名です。
続いて年間の吉凶の方位が書かれた後、毎日の干支や吉凶が書かれています。これは暦注と言い、京都の陰陽師たちが策定していました。
11月15日には月食が発生する時間と食分(隠れる割合)が書かれており、月食が重要な事象であったことが分かります。