華族会館京都分館

明治維新以後、江戸時代の公家や大名などは華族という特別な身分に位置づけられました。その華族の集まる団体が華族会館で、東京に本館があり、京都に分館がありました。京都分館の事務所は、烏丸今出川の北東にあった旧徳大寺邸跡にありました。

1915年(大正4)の『京都府誌』の編集のために撮られた旧一号書庫写真資料No.51には、華族会館京都分館の写真があり、表門と本棟の建物が写っています。京都分館は1918年(大正7)、今出川通の拡幅に合わせて大幅な改築が行われていて、これはそれ以前の貴重な写真です。本棟の玄関の唐破風屋根には菊の御門が見えます。表門と玄関の車寄せは、1879年(明治12)に京都分館(当時は京都分局)がこの場所に移転した際に、旧閑院宮邸から移築したと伝えられる大きなものでした。

元公家の出身で、子爵になった石井行昌氏の写真資料を見ると、No.243の「自動車」という題名の付けられた写真の建物が、旧一号書庫写真資料No.51の車寄せと同じです。華族会館京都分館の庭に自動車の乗り入れているところを写したもので、車寄せの建物の細部が窺えます。ちなみに自動車は1908年(明治41)に製造の始まったT型フォードと呼ばれるアメリカ製で、屋根のないオープンタイプの車です。

石井氏の邸宅は、烏丸今出川を下がった烏丸武者小路西入にあり、華族会館京都分館の近くでした。石井氏の烏丸今出川の市電の写真(No.147151など)にも、背景に華族会館京都分館の建物の一部が写っています。いずれも京都御苑北側の今出川通の拡幅以前の写真で、華族会館京都分館が改築される前の烏丸今出川界隈の様子を捉えています。

参考:霞会館華族資料調査委員会編『霞会館「京都支所」のあゆみ』、霞会館、2010年

(写真資料から99 資料課 大塚活美)