四条小橋

矢野家写真資料 79 四条大橋2

江戸時代、鴨川には三条通と五条通に大きな橋が架かっていました。しかし四条通は御土居で遮られたため大きな道が川まで延びず、そのために鴨川にも小さな橋しか架かっていませんでした。江戸時代後期の安政4年(1857)になりようやく大きな橋が架けられましたが、1874年(明治7)には写真のような鉄橋に架け替えられました。

鴨川から取水する高瀬川には、三条通と四条通に橋が架かっていました。四条通の橋は四条小橋と呼ばれ、1875年(明治8)に西洋造石橋に改められました。その写真が旧一号書庫写真資料No.33のものです。

旧一号書庫写真資料No.33


鉄の部材を縦、横、斜めに組み、鋲で留めて作られていることがわかります。欄干の端には、擬宝珠形をした石製の親柱が見えます。
川の横には、荷物を運ぶ船が上下していたことから曳船のための側道が見えます。船の運航、船曳き人の通行のため、四条小橋は橋の下が高くなるように橋桁を高い位置に架けられていました。

四条小橋については、当館の京都府行政文書の中に「明治八年 東高瀬川四条小橋西洋形ニ架換建築一件」(明08-0047)という京都府土木掛の簿冊があり、関係の記録が残されています。それによると、前年末から準備が進められ、夏には下流側に仮橋を架けて工事が進み、10月に工事はほぼ完成し、12月に渡り初めをしています。橋の長さは4間(約7.2メートル)、幅は3間2尺(約6メートル)で、総工費は約1860円かかったとのことです。

(写真資料から98 資料課 大塚活美)