黒川翠山撮影写真資料の題名について

黒川翠山撮影写真資料に含まれる個々の写真の題名(作品名)は、寄贈された後に当館での整理時に付けたものです。

翠山が写真のすべてに最初から題名を付けていたとは思えませんし、整理時にすべての写真について発表時の題名等を調べたわけではありません。そのため、翠山が撮影時に意識した狙いが伝わらなくなっているもの、別の印象を与えているものがあるかもしれません。

撮影した写真に関しての情報がガラス乾板の隅、焼き付けた写真の裏面などに残っているものもありますが、本人による撮影に関する記録は残っていません。

そのため、本来の題名を復元する方法としては、雑誌等に掲載された作品名を探すことになります。ただし、その時でも投稿の場合と、依頼の場合では、少し作品名が違っていたものもあったと思われます。また、同じ写真を再利用した時には、別の名前が与えられている場合もあるようです。

例えば、347番の「清水寺」、453番の「仁和寺」は『太陽』に掲載された時の題名はそれぞれ「花の清水」、「京都御室の花」でした。このように、社寺については建物を写した写真のほかに、境内の花などを中心に写したものもありますが、整理時には社寺名のみで統一しています。

また、958番の「」は『太陽』掲載時には「秋色(槇尾の紅葉)」という題名でした。同様に903番の「嵐山」も『歴史写真』に掲載された時は「新緑のあらし山」という題名で、整理時に季節性も考慮して名前は付けていません。

その他にも1376番の「子守をする少女」は、『太陽』に掲載された「梅日和」と似た写真です。梅日和は梅を見るのに良い天候を意味する言葉です。しかし写真だけを見て「日和」という題名を連想するのは難しいかもしれません。

1290番の「猿回し」は、『歴史写真』に「長閑な道(猿回し)」として載っています。写真を見ると、遠くまで伸びている道が印象的で、相応しい題名と言えますが、整理時に「長閑な道」という題名を付けるのは難しかったと思います。

このように、写真の作品名は、撮影者の狙い、第三者が見た時に受ける印象、整理の目録とで、異なることもままあるようです。現在の題名からは感じにくい撮影者の意図にも思いを馳せながら、写真を見る必要があると言えます。

(写真資料から95 資料課 大塚活美)