黒川翠山・石井行昌撮影写真資料の複写写真

当館の黒川翠山撮影写真資料は、写真家の黒川翠山が撮影したものですが、一部に複写した写真も含まれています。1443番の「轜車(じしゃ)」 (柩車)は、『明治天皇御大喪儀写真帖』*1(1912年(大正元)刊)に載るものと同一で、そこには「陸地測量部撮影」と書かれていました。

2003番の写真はこれまで「不明」という扱いでしたが、同書に同じ写真が載っていて、「本牛及副牛ヲ附シタル轜車」*2とあり、同じく陸地測量部撮影です。

轜車の背景には高い石垣があることから、東京の皇居(旧江戸城内)での撮影と考えられます。陸地測量部は陸軍の外局で、地形の測量を行い、地図を作る機関でした。複写物を作成した理由は定かでありません。

黒川翠山撮影写真資料 2003

石井行昌撮影写真資料にも、複写した写真が含まれています。769番の「千百年紀念祭 時代風俗行列」は、1895年(明治28)11月25日に行われた時代風俗行列の一コマで、織田信長上洛列の立入宗継(たてりむねつぐ)役の人物を写したものです。

現像ムラのひどい元写真を台紙上に置いて撮っているようです。

黒川翠山撮影写真資料 648

648番の「楽隊」の写真も、769番と同じように台紙の上に置いて撮影しています。

軍隊関係の洋楽隊のような装いですが、右端には「京都市上京区富小路通り二条南入 大日本音楽隊会社京都支社」の立て札が写りこんでいます。この会社については詳細は不明です。

1014番の「騎馬軍人」の写真も、上の写真と同じように周囲に白枠を付けた紙焼き写真を複写したもので、1131番の「警官騎馬」と同じ写真です。

これらの複写写真を見ると、元の写真がゆがんでいて、複写物に対してカメラを真正面から向けて撮るのが難しかったことが窺われます。

黒川翠山撮影写真資料 907

907番の洋風建築の写真は、1895年(明治28)の内国勧業博覧会のときの美術館と手前の噴水を写したものです。この写真は周囲に白枠がなく、先のものとは印画の仕方が異なっていたことがわかります。1192番の「鹿」も白枠のない写真を複写したものです。

石井行昌撮影写真の複写物の元になった写真が石井の撮影であったか、他人の写真であったかよくわかりません。他人にわざわざ複写をお願いするような図柄でもないように思われることから、例えばガラス原版の破損などにともなって再度原版を作ろうとしたのかもしれません。

*1,2:NDLデジタルコレクションで内容を閲覧することができます。
「轜車」(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966084/7)
「本牛及副牛ヲ附シタル轜車」(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966084/9)

(写真資料から94 資料課 大塚活美)