写真資料のガラス原板

当館にある石井行昌と黒川翠山の写真は、ガラス原板で保存されています。アナログ写真の時代には、写真の像を写し取る感光材としてフィルムやガラス板を使っていました。写真の発明された1840年代には金属の銀板を使い、1850年代にはガラス板を使う湿板写真、1870年代以降には乾板写真へと変わっていきました。石井行昌と黒川翠山の写真(1890~1940年代)は、このガラス乾板の時代のものです。

印画紙への焼付の方法は、最初はガラス板に直接置く密着式でした。そのため、大きな写真を得るためには大きなガラス板を使いました。当館の矢野家写真資料には1870~80年代の写真が含まれていますが、その中には四切判(254㎜×305㎜)、六切判(203㎜×254㎜)に相当する大きなガラス板が見られます。石井行昌と黒川翠山の時代になると、焼付も引き延ばしができるようになり、持ち運びにも便利な手札判(89㎜×127㎜)、キャビネ判(130㎜×180㎜)が主となっています。

ガラス乾板の製造・流通についてはほとんどわかりませんが、黒川翠山のものにはドイツの写真機メーカー「アグファ」社製のものがあります。日吉神社祭礼銀閣寺三船祭などの一部の写真の長辺の端に「AGFA」の文字が反転して見えます。黒川がガラス乾板を入れていた紙箱等から見ると、普段は国内のメーカーのものを使っていて、一時的に外国製のものも使用していたと言えそうです。

銀閣寺」(黒川翠山撮影写真資料 462)

*右上に「AGFA」の文字が反転して写っている。
赤枠部分の拡大画像

(写真資料から93 資料課 大塚活美)