石井邸で撮影した人物写真

石井行昌撮影写真資料のNo.383~610は、主として人物写真です。家族写真も含まれますが、誰を写したのかわからない写真が数多くあります。撮影場所は屋内のものもありますが、屋外のものが大半です。人物の背景に注目すると、板塀、土塀、扉、庭の前で写しているものが多く、他の写真と比較するとその場所が石井邸であると言えそうです。

人物の姿勢は、立ち姿、椅子に腰かけた姿のものが多く、正装をして、かしこまった表情で写るものがほとんどです。おそらく、石井氏の近所の人や親戚の人ではないでしょうか。石井行昌氏が写真を始めた明治時代の後期は、写真はまだまだ特別なもので、写真館に行って撮る時代でした。写真を撮ってもらうのも初めての人が多かったのかもしれません。

京都市立芸術大学の芸術資料館のホームページに、1885年(明治28)当時の学校の制服を着た人物の写真が載っています。芸術資料館に尋ねたところ、写真の裏面に「明治28年5月、京都市立美術工芸学校絵画科二年生、戸島弥一郎、14歳」と記されているとのことでした。この人物は後に漆芸家となった戸島光孚(こうふ)です。写真の背景を見ると、土の地面で椅子に腰かけていて、背後には板扉が見えます。同じ板扉が、石井写真のNo.444No.577などに見えることから、戸島弥一郎の写真は石井邸で撮られたものと言えます。当時、京都市立美術工芸学校は京都御苑の南東端にあり、御苑の北西に隣接する石井邸とはそんなに離れていませんでした。

No.444 「人物(青年)」

石井邸では、いろいろな人が被写体となり、写真を体験しました。例えば、子をとろ遊びをする子供たち(No.508)、シルクハットを手にする和服姿の男性(No.530)、洋傘を持つ洋装の若い女性(No.567)、ヴァイオリンを弾く男性(No.649)の写真等があります。
おそらく、上手く印画のできた1枚を台紙に貼り付けて本人に渡し、ガラス原板は石井氏の手元に残しておいたものと思われます。

No.530「人物(男性)」 
No.567「人物(女性)」

(写真資料から92 資料課 大塚活美)