伊達政宗泰山府君祭都状案

「泰山(たいざん)」とは中国山東省にある山で、道教の聖地である五岳のひとつとして古くから信仰を集めてきました。泰山の山頂には人間の寿命を記録した帳簿が置かれていると信じられ、「泰山府君(たいざんふくん)」という中国古代の神が祀られていました。
泰山府君は仏教の閻魔大王と習合して人間の寿命の帳簿を管理する支配者であり、人々はこの泰山府君に対して死者の帳簿を削ってもらうことで、延命長寿を祈願しました。

人の生死を支配した泰山府君と密接な関係にあったのが、平安時代の陰陽師・安倍晴明です。『今昔物語』や『発心集』などの説話集には、安倍晴明が「泰山府君祭」によって重い病に罹った僧侶を救ったというエピソードが書かれています。
ただし、泰山府君祭によって本当に死者を蘇らせたという記録はありません。実際の泰山府君祭は、天皇や武家などに対する健康長寿を祈祷する祭祀として、陰陽家安倍氏が最も得意とした祭りでした。

当館が所蔵する若杉家文書には、安倍晴明の子孫筋にあたり、天和3(1683)年には諸国に散在する陰陽師を支配する権限を江戸幕府から公認された土御門家伝来の陰陽道関係資料があります。そのなかには天皇や武家などに対して行った泰山府君祭の都状(とじょう)(祭文(さいもん))が多く含まれています。
その一つに「伊達政宗泰山府君祭都状案」があります。

館古027-62「伊達政宗泰山府君祭都状案

文書名に草稿や写しを意味する「案」が付されていますが、この文書の封紙には「慶長廿年 政宗名乗自筆 泰山府君都状」とあることから、この都状に記載されている「政宗」の文字は伊達政宗の直筆であることがわかります。

館古027-62「伊達政宗泰山府君祭都状案」(封紙)

ただし都状の本文をよく見ると、先述した泰山府君祭の特徴である健康長寿を祈祷するものとは、内容が少し異なっていることがうかがえます。
下の画像をご覧ください。

「殊家康公・秀忠公対政宗心中悪心退」という文言がみえます。
これは、伊達政宗に対して危害を加えようという徳川家康・秀忠の心を退かせるために願ったものです。
このタイプの泰山府君祭都状は若杉家文書の他の祭文や都状には無く、大変珍しいものです。
およそ健康長寿とは関係ない文言が含まれたのはなぜでしょうか。
この謎を解くヒントは、この都状が作成された時期にあります。

「伊達政宗泰山府君祭都状案」が作成された慶長20(1615)年2月は、京都の方広寺の鐘銘事件をきっかけに徳川方が豊臣方を攻撃した「大坂冬の陣」の和議が成立して間もない頃です。この時期、徳川家康と徳川秀忠は大坂の陣を引き払っていましたが、戦争の準備を怠っていたわけではありません。大坂では浪人の乱暴や狼藉、堀や塀の復旧などの不穏な動きもあり、戦争がいつ再開してもおかしくない状況でした。
そのため、伊達政宗は徳川家から謀反の疑いをかけられることを危惧していたのでしょう。
つまり、政宗の都状は、近い将来に必ず戦争が起こるという緊迫した状況を踏まえて作成されたものと考えられます。
伊達政宗の特異性を示す資料といえるのではないでしょうか。