石井行昌氏撮影の伊勢・二見の写真

石井行昌撮影写真資料(乙)は、1997年(平成9)に寄託された写真資料535点です。石井氏生存当時の紙焼き写真、購入写真帖などからなっています。この資料群には、これまで紹介している石井行昌撮影写真資料には見られない写真もあります。その一群が伊勢・二見の写真で、写真帖に8枚の紙焼き写真が収められています。

最初に取り上げる写真は、伊勢神宮内宮に行く五十鈴川に架かる宇治橋です(石井乙No.95)。橋の上には10数人の通行人が見えます。日傘を差していることから、暑い時期の写真だと思われます。川の上流側には、流木除けの杭が並びます。河原には6人の人影があります。そのうち5人は手に竹竿のようなものを持っています。よく見ると、先端には網が付いています。これは、伊勢神宮の参拝者が五十鈴川へ賽銭を上げる投げ銭を受け取る網で、この行為は網受けと呼ばれました。この習俗は江戸時代に盛んになりましたが、明治年間初頭に一度禁止されましたが、懐かしむ声により1885年(明治18)から1904年(明治37)まで復活しました。石井氏の写真はその時のものです。

次に紹介する写真は、門柱に「仮徴古館(ちょうこかん)」と「賓日館(ひんじつかん)」の二枚の看板を掲げたものです(石井乙No.94)。「賓日館」は、1887年(明治20)に二見に建てられた賓客の休憩・宿泊所です。「徴古館」は伊勢の宝物を集めた博物館で、1894年(明治27)に資料を二見の賓日館に移して仮徴古館として展観していました。その後1909年(明治42)に、倉田山に新築された神宮徴古館に資料を移転します。写真には、「明治廿八年四月神苑会」の文字のある立札も見えます。

最後に「ふたみ行き」の表示を付けた電車の写真を見てみましょう(石井乙No.91)。これは伊勢の町から内宮、二見まで走っていた電車の車両です。1903年(明治36)8月に、宮川電気(翌年、伊勢電気鉄道に社名変更)が伊勢の表玄関である山田駅(現伊勢市駅)近くの本町(外宮前の近く)と二見間で運転を開始しました。3年後には、内宮のある宇治まで路線が引かれ、伊勢神宮への参拝が容易になりました。車両は、開放式運転台をもつ2段式屋根の形式で、ドイツ製の集電装置であるビューゲルを採用していました。路線の一部で道路敷きを走っていたこともあり、前方部に救助網も付けています。

これらの写真から、石井氏は1903年(明治36)8月から翌1904年(明治37)までの間に伊勢・二見に出かけたと言えます。当時の交通機関から推測すると、京都から官設鉄道で草津まで、そこから関西鉄道で津まで、そこから参宮鉄道で山田まで乗り継ぎ、伊勢神宮に参拝したあと、宮川電気を使って二見に足を延ばしたと思われます。ここまで見てきたように、石井行昌撮影写真資料(乙)にはこれまで頻繁に利用されていた石井行昌撮影写真資料にはない写真も含まれていて、石井氏の従来の資料では分からなかった足跡も辿れます。

(写真資料から89 資料課 大塚活美)